幽霊かもめダイアリー

「島は海に浸かった山であり、山はまだ乾いている島である」(ドゥルーズ「無人島の原因と理由」)

現実をめぐる言葉のゲーム

自分の現実を理解してもらおうとするなら、それを正直に話せばいいと思うだろうか。 でも、その「現実」がとてもシリアスなものだったらどうだろう(というか、こんな段階でつまずいているような人の「現実」はたいていシリアスだ)。

 

「わたしはこう(現実)です」と話す。それは暗くて長くて難解で、たいてい非論理的な話だ(なぜなら、それ(現実)の話し方は、ふつうの社会には用意されていないのだから。だからそもそもはじめから理解されていないのだ)。するとどうなるだろうか。

 

仮に相手が話をよく聞いてくれる人だったとしても、ほとんどの場合、そこで伝わるのは話の内容じゃない。「暗い話だ」「よく話す人だ」「よくわからないことを言われて困るな」。相手に対して勝手に作用してしまうわたしの言葉に、わたしはひどく戸惑う。

 

わたしはだから、自分の現実を説明することをやめる。なぜなら、わたしは暗くて長くて難解で非論理的な話をしながら、それと同時に明るい人間だし、長い話よりもくだらない冗談とか小さな掛けあいが大好きで、本当は難しい話なんか放っておいて、相手の表情のわずかな移ろいに見惚れていたいのだから。
 
どうしても不利な言葉のゲームに、ズレたひとたちは放り込まれることになる。このゲームにうんざりして、わたしはたまらず叫び声をあげる……… ひとと話す。このひとも夜ごとに叫んでいる、雰囲気がする。 わたしたちはただ小さく目配せをする。
 
追記(2023/09/21):これはついったーに書いたけど、暗すぎたからこちらにうつしたもの。最後はなにを言いたかったのか自分でもあんまりわからない。たしか、とてもねむかったおぼえがある。