幽霊かもめダイアリー

「島は海に浸かった山であり、山はまだ乾いている島である」(ドゥルーズ「無人島の原因と理由」)

「人間舐めんなよ」リスト

『血の轍』を読んだ。それよりも1000倍いい作品だと思っている『おやすみプンプン』もそうだが、どうして「生きていくことができない」という問題はいつもシスヘテロ男性の物語として語られるのだろうか。

 

ルジャンドルが、生きることの〈準拠〉の問題がまったく系譜の問題であると言うことの意味を、わたしはいまだに根本的にはよく分かっていないが、しかし、ルジャンドルの一面ではまったくシスヘテロ男性中心主義的な図式(〈父〉と(男の)子の問題)は、こうした漫画作品のなかで示されているように思える。

 

ともかく、異性(ほとんど女性)と出会うことで(救われて)結末を迎えるというプロットをとる作品はすべて、わたしのなかの「人間舐めんなよ」リストにぶち込まれる。シン・エヴァも、サカナクションのMVとかもここに入っている。

 

シン・エヴァは、シンジがアニメーションの一コマへと分解されるところで終わるべきだったと思う。物語を運んでいく計画=列車、そこには始まりから終わりまでの全てのものが乗せられてしまうが、それと同時に、永遠の夕焼けのなかでゲンドウひとりしか乗っていない、そのような列車をゲンドウは最後に降りることができたのだし、そしてそこから現実が始まるはずだったのではないか。その現実とは、最後のシーンでシンジがマリの手をとって駆け出していく、どこか焦点が合わずにぼやけた街の風景などではなく、アニメーションの一コマとして描かれたシンジ、それを描く手、それを見る私たち…と、それが現実を向くということなのではないか。

 

全然関係ないけど『バクマン』はマジで人間舐めんなよと思う。全然関係ない。